スタッフ

小川満洋|営業方

この仕事(画屋)を続けているのはなぜですか?

漫画家を目指していたからといって、両親や親戚に芸術家がいたりとか、自分で商売を始めるくらいだから、商売人の家系かというとそうでもなく、ごく普通の家庭に育ちました。ですから、私が家族に漫画家を目指すと伝えると、当然、親戚も巻き込んで考え直すよう説得されました。今考えると、親や親戚の意見は、お金を稼ぐことが非常に難しいという意味ではまったく正しいと思いますが、漫画の魅力の打ち消すには至りませんでした。

漫画が、ガッチリと私の心を掴んだのは、小学生の頃でした。「ドラえもん」を何度も繰り返し読んでいたことと、「火の鳥 未来編」を読んで怖くなって、本棚の奥の方に隠していたことを今でも覚えています。他にもいろいろな漫画を読みたおしましたが、あの時の印象は特別です。長くなるので省きますが、70、80年代ののアニメも大好きでした。

色々ありまして、中学生の頃から、シングルマザーの家庭で育つことになりました。うるさい父親がいなくなって、かなり好き勝手をしていたと思います。母親から言われて今でも忘れられないのは「卑しい人間にだけはなるな」という言葉です。本当の意味は分かっていないかも知れませんが、それからは、そのような人間にはなるべく成らないように心がけています。
そして、今は亡き母との「漫画家になる」約束は、今のところ守れていると思います。

なぜ、この仕事を続けているのか「漫画を描いて生きる!」という理念がどこから来ているのかは、こんな生い立ちからなのかも知れません。とにかく、今でも私の中で漫画に対する憧れや魅力は全く色あせていないことは確かです。

こだわっていることや、これまでに印象的だった
クライアントや仕事はありますか?

創業当時は全く売れませんで、いつも「なんで売れないのか」とめちゃくちゃ悩んでいたと思います。それは今でも完全に解決できているわけではないのですが、とにかく漫画をどう売ればいいのかと、漫画の効果を自社のプロモーションで試行錯誤したり、マーケティングや会社経営の勉強会、いろんな交流会や団体に参加して、周りの人はどうやって売ってるのかを教えていただきました。

「どんな企業でも売ることに悩んでいる。」
「企業は漫画を必要だと考えていない。」
この2点の解決策をつなぎ合わせたところに、私たちの仕事があると考えています。

おかげさまで、20年この仕事を続けることができましたが、その中には上手くいったことも、残念ながらクライアントのご期待に添えなかったことも経験しています。クライアントのご期待に添えなかった原因は何か、どうすれば良かったのかを反省して、同じ失敗を繰り返さないように、できれば事前に自社で試したり、他社の事例で上手くいったことを提案するようにしています。

印象的なクライアントや仕事については、全ての仕事はチャンスをいただいたと全力で取り組んできたので、嘘くさいかも知れませんが全てです。ただ、その中で、あまり喜ばれなかった仕事の方が印象的と言うより記憶に残っています。

先藤からの紹介

小川氏は、大学のサークルで知り合いました。当時は漫画サークルでありながらなかなか漫画を描こうとしない先輩たちに一人気概を吐いている活きのいい人間でした。その中で私のことはずいぶん買ってくれていたようで、ありがたいことに声をかけてもらえました。以来『画屋』という会社の形になるより前からこっち、漫画というメディアをまっとうな糧を得られる商売にしていこうと彼が学生時代にも増して精力的に頑張ってきたのを側で見てまいりました。

その中で私が何よりびっくりしたのは、かつては漫画制作以外に興味などないといっても過言ではなかった彼が、その為に会社経営やマーケティングにどん欲に取り組む『社長』になっていった事です。その芯は一緒に働く仲間たちが少しでも正当な対価を得られるようにしたいという気持ちで常に一貫しており、ギャラをいただく際にはいつもその気持ちがひしひしと伝わってきております。

とにかく味方としてこれほど頼りになる人間はないというのが、私のみならずスタッフの一致した見解ではないでしょうか。